沿革及び組織図
沿革
- 財団法人太田家報徳会
- 大正9年5月、太田清蔵氏が私財50万円を提供し、財団法人太田家報徳会 が設立され、各種社会事業(困窮民の家計補助と学資の給与、医師会に委託して病者の施療)を行う。大正11年、職業紹介所、大正12年には借家紹介所を併設する。(昭和10年3月福岡市へ移管)
昭和5年、「福岡隣保館(みなと保育園)」を北浜町(石城町)に開設し、更に九州帝国大学(九州大学)学生セツルメント、並びに日本赤十字社と提携して、 各種社会事業を継続開設した。昭和11年、「福岡社会館(乳児院)」を犬飼町(博多駅前2丁目)に新築する。昭和21年8月1日、財団法人福岡県社会事業 協会へ事業及び財産を引き渡す。 - 財団法人福岡県社会事業協会
- 昭和2年12月9日、任意団体として設立され、各種社会事業を行う。昭和15年7月、財団法人として認可される。
昭和21年8月1日、太田家報徳会より、事業及び財産を引き継ぐ。 - 恩賜財団同胞援護会福岡県支部
- 昭和21年3月、軍人遺族の援護を目的として設立されていた軍人援護会と、戦災援護会が合併し、「同胞援護会」が誕生した。
昭和21年6月、海外引揚孤児の恒久的収容施設として、「和白青松園」を開設する。昭和22年3月、婦人保護施設「福岡あけぼの寮」。8月には、「北九州あけぼの寮」を開設し、福岡県より委託された。 - 任意団体福岡県社会福祉事業協会
- 昭和27年12月、任意団体として設立され、財団法人福岡県社会事業協会が戦後の大幅な改革整備のため「福岡社会館(乳児院)」を経営するのみとなり引き継ぐ。
- 社会福祉法人福岡県社会事業団
- 昭和31年12月1日、社会福祉法人設立が認可され、法人名を社会福祉法人福岡県社会事業団と称し、財団法人福岡県社会事業会、恩賜財団同胞援護会福岡県支部、及び任意団体福岡県社会福祉事業協会の事業財産(福岡社会館、和白青松園、福岡あけぼの寮、北九州あけぼの寮)を引き継ぎ運営する。
昭和36年6月16日、福岡社会館は花野町(博多駅南2丁目)改築移転する。
昭和40年7月1日、福岡乳児保育園(わかば保育園)を設置経営する。
昭和41年7月1日、博多乳児保育園(みなと保育園)を設置経営する。
昭和45年10月1日、福岡あけぼの寮、北九州あけぼの寮は福岡婦人寮に統合する。
昭和51年6月1日、福岡乳児保育園(わかば保育園)は板付へ移転する。
昭和54年8月30日、福岡社会館(福岡乳児院)は博多区西春町に移転する。
昭和55年7月1日、福岡乳児保育園は、わかば保育園へ名称変更する。
昭和55年12月1日、博多乳児保育園(みなと保育園)は大博町へ移転する。
昭和56年11月26日、福岡社会館は、福岡乳児院へ名称変更する。
昭和57年2月1日、博多乳児保育園は、みなと保育園へ名称変更する。
平成15年4月、和白青松園が地域小規模児童養護施設を開設する。
平成16年11月、和白青松園が小規模グループケアを開設する。
平成17年4月、福岡乳児院が小規模グループケアを開設する。
平成24年3月16日、和白青松園が改築する。
平成25年7月、アベニール福岡へ名称変更する。
平成27年6月25日、わかば保育園が改築する。
平成29年6月1日、アベニール福岡が移転する。
平成31年4月1日、福岡乳児院及び和白青松園が一時保護専用施設を開設する。 令和2年4月1日、和白青松園が2カ所目の一時保護専用施設を開設する。
組織図
定員 28 名 |
定員 170 名 |
定員 70 名 |
定員 50 名 |
定員 44 名 |